『致知』2003年10月号より
「親父の小言」といわれる四十五の文章についてご紹介いたします。
「親父の小言」
青田暁知(大聖寺住職)
『致知』2003年10月号
特集「人生を支えた言葉」より
※肩書きは掲載当時です。
「親父の小言」をご存じでしょうか。ご存じない方でも、
「火は粗末にするな」「朝きげんよくしろ」
「神仏をよく拝ませ」「人には腹を立てるな」
「人に馬鹿にされていよ」「家業は精を出せ」
「年寄りをいたわれ」
……これらの言葉が全国の土産物の壁掛けや
温泉場の手ぬぐいなどに書かれ、売られているのを見た人は多いと思います。
実はこのもとになったのが私が住職を務める福島県浪江町、大聖寺の庫裡に掲げられた
「親父の小言」の四十五の文章です。
私の父・青田暁仙が昭和三年、三十三歳の時に書いたもので、私が物心ついた時にはすでに庫裡に掲げられていました。
私にとってはいずれも親しみのある言葉ばかりです。ただ、私は十一歳で父と死別しましたので、
この小言について父に深く聞くことは、ついにできないままでした。ですから、父がどういう思いを込めて
これらの言葉をしたためたのか、小言を言った親父とは、父の父である青田八郎のことなのか、
それとも自分の思いを架空の小言親父に託したのか。はっきりしたことは分かりません。ただ、小言の為書には
「親父生前中の小言を思い出して書きました。 今にして考えればなるほどと思うことばかりです」
の一文があります。青田八郎の言葉であることを裏付けているかのようですが、父は石田梅岩の石門心学について
熱心に勉強していたことなどを考え合わせると、あるいはその影響もあるのでは、とも考えられます。
実際、「家業は精を出せ」「たんと儲けてつかへ」など小言には梅岩の思想と共通する言葉も盛り込まれています。
昭和三十年代の半ば、この小言を町内の商店が商品にして売り出したのをきっかけに、評判が評判を呼んで全国に広がりました。
途中、新たな語句が加わったり、逆に本来の言葉が削られたりと、父のオリジナルとは随分異なるものになってしまいましたが
小言が広がったのは、何か人々の琴線に触れるものがあったからでしょう。
(後略。以下に45の文章をご紹介します)
火は粗末にするな・朝きげんよくしろ・神仏をよく拝ませ・不浄を見るな・人には腹を立てるな
身の出世を願へ・人に馬鹿にされていよ・年寄りをいたわれ・恩は遠くから隠せ・万事油断するな
女房のいうこと半分・子のいうこと八九はきくな・家業は精を出せ・何事もかまわずしろ
たんと儲けてつかへ・借りては使うな・人には貸してやれ・女郎を買うな・女房を早く持て
難渋な人にほどこせ・生き物を殺すな・年忌法事をしろ 義理は必ず欠くな・ばくちは決して打つな
大酒は呑むな・大めしを喰うな・判事はきつく断れ・世話焼になるな・ 貧乏を苦にするな・火事の覚悟をしておけ
風吹きに遠出するな・水はたやさぬようにしろ・ 塩もたやすな・戸締まりに気をつけろ・ 怪我と災は恥と思へ
物を拾わば身につけるな・ 小商ものを値切るな・何事も身分相応にしろ・ 産前産後を大切に・小便は小便所へしろ
泣きごとは必ず云うな・病気は仰山にしろ・人の苦労を助けてやれ・不吉は云うべからず・ 家内は笑ふて暮らせ
人間力.com より引用